生きる目的とは

ジョイアスバンド出演の写真

 みなさんこんにちは。早いもので今年も残すところ後一ヶ月となり、皆様方には、年末の忙しい毎日をお過ごしのことと思います。この鼓笛隊も皆さんのお力添えで、結成してから九年が経ちました。これからも、子供たちと一緒に、「たすけあい」の心を伝えながら、楽しく続けていこうと思いますので、よろしくお願いします。

 

 私たち人間は、陽気ぐらしを目的に生きていくことを天理教の教祖おやさまから初めて教えてくださいました。親神様は、人間を創られる時に、目をつけたら見たもの全て喜んでくれるだろう。耳は聞いたこと全て喜こんでくれるだろう。鼻は臭いを嗅いで喜んでくれるだろう。口は、人を喜ばすために使ってくれるだろう。手や足は人のために使ってくれだろうと、喜びいっぱいで人間をお創り下さいました。ですから、親神様から借りている人間の身体は、創られた時の目的通りに使えば陽気ぐらしが味わうことができるのであります。目ひとつにしても、目が見えながら、人のアラを見たり、欠点を見ている。耳が聞こえるのに、聞いたことを不平不満に捉える。口で言葉が話せるのに、人の陰口、悪口を言っている、そんな身体の使い方にならないように心がけなければいけません。

 

 身体は自分の心で使っていますから、自分の心の使い方を見るめることをしないと、どうしても、誤った身体の使い方をしてしまいがちになります。そこで、親神様は、陽気ぐらしを味合わせてやりたいという親心から、自分の心を映し出す相手と出会わされるのであります。

 

 自分の心を映し出す最高のパートナーは夫婦であり、子供であります。

また、人との出会いによって自分の心を映し出されることもあります。このように、人との出会いが、自分の心を映し出す出会いと捉えることができれば、自分の心を見詰めることができるのではないでしょうか。人の姿を見て、憎んだり、恨んだり、腹を立てていても、自分の心の奥底では、苦しみがあるのではないでしょうか。それよりも、どんなことも喜びにかえられる心になれる鏡として、いろんな人との出会いから、自分の心を見詰めることを大切にしてもらいたいと願います。