誠 真 実
誠真実というは、ただ正直にさえして、自分だけつつしんでいれば、それでよい、というわけのものじゃありません。誠の理を、にちにちに働かしていくという、働きがなくては、真実とは申せません。そこで、たすけ一条、とも聞かせられます。
互いに立て合い、たすけ合いが、第一でございますによって、少しでも、人のよいよう、喜ぶよう、たすかるように、心を働かしていかねばなりません。
そこで、八つのほこりも、我が心につけんばかりでなく、人にも、このほこりをつけささんように、せにゃなりません。
まず、己がほしいものならば、人もほしいに違いない。人にほしいというほこりを、つけさせまいと思えば、我がものも分けてやるようにし、一つのものは半分わけても、ほしいのほこりを、つけささんようにするのが、真実誠のはたらきです。
我が見てをしい、と思われるようなものならば、人もおしいに違いないによって、忘れたものも、すみやかに返してやり、落としたるものも返してやり、また、天よりお与えくだされて、天の御守護でできたものなら、たとえ一寸の布(きれ)、一粒の穀物でも、すたらんように心がけ、すべて物を無駄にならぬよう、粗末にならぬよう、大切にして、
そして一方、一れつ兄弟の難渋を救う心を働かし、わが身可愛い、我が子可愛ければ、人の身をいたわり、人の子をかわいがる心をもち、
罪のにくむべきと知るならば、罪を犯させぬよう、人にも罪を犯さぬように、心を働かし、人の過ちも、我が身にかついで通る心になり、
うらみが、ほこりと知った上は、人にうらまれるような行いをせんように。
はらだちが、ほこりなれば、人に腹立たせぬような言葉を使わんよう。
通常、欲のないものはございませぬゆえ、よくのほこりをつけんよう、色欲や、強欲の間違いに落ち入らぬように、人の世話をしてやり、
こうまんの心ではなくとも、人にはずかしめられたり、踏みつけられたりして、何とも思わぬ者はありますまい。されば、人に恥かかさんよう、人と人との中もとりつくろい、人を立てて、何事も人の心に満足与えるよう。
日々に互いに立て合い、たすけ合いという心を働かしていくように、お願い申します。