目に見えないもの

ジョイアスバンド出演の写真

  人はいろんな人と出会って大きくなっていきます。どんな人と出会うかによって人生も変わっていきます。一時期ニュースで話題になっていた闇営業問題も、人との出会いによって起こったものと思います。良き人との出会いが自分の力で出来たらよいのですが、そんな都合の良いようにはいきません。また反対に、自分が相手にとって良き出会いと思ってもらえているかと思う時、人に喜びを与えているかと自分を見詰め直すこともあります。良き人との出会いというものは、自分の持っている運命で決まってくるように思いますから、目には見えませんけど、運命というのは存在すると感じます。

 家の近くにお地蔵さんが立っています。そこに、毎日手を合わせに来られる年配の方が数人おられます。その姿を見てとても尊いものだと感じています。これまで、神仏に手を合わせる年配の方と話す機会が何度かありました。その時に、私は、「何を願っておられるのですか」とお聞きします。すると、ほとんどの方が、自分のためではなく、五〇、六〇歳にもなる子供の幸せや孫の幸せを願っておられました。年を重ねた親にとって子供にしてあげれることは、陰で幸せを願うことぐらいだそうです。

 また、ある時、無神論者という神仏を信じない人と話したことがありました。そんなものに頼らなくても自分の力で生きていけるというお話でした。

 自分の今の幸せや成功は、果たして自分一人の力でつかめたのでしょうか。やはりそこには、親や先祖の誰かが、自分の知らない陰で「子や孫のために」と手を合わせてこられた姿があるのではないでしょうか。そこに、自分自身が良き運命でたどれる元があると思うのです。

 人は、目に見えるものだけを信じて、傲慢に生きていきやすいものです。しかし、目に見えないもののお陰で自分があることも知ることも大切であります。そのことを感じることが出来れば、人は、謙虚に生きることができて、良き運命の種まきが出来るようになるのではないでしょうか。